東京高等裁判所 昭和31年(ラ)622号 決定
本件記録によると次の事実を一応認めることができる。すなわち鑑定人郡富次郎は抵当権実行のための本件競売物件たる(1)東京都北区上十条一丁目十番の七宅地百五十六坪五合一勺を金百五十六万円、(2)同番の八宅地百五十九坪一合四勺を金八十万円、(3)同番地の七家屋番号同町百十八番木造亜鉛葺二階建物置一棟建坪五十四坪五合二階五十四坪五合(実測建坪六十一坪七合五勺二階六十一坪七合五勺)を金百二十三万円、(4)附属木造亜鉛葺平家物置一棟建坪五坪は事実上存在、(5)同所家屋番号同町百十九番木造瓦葺二階建居宅一棟建坪二十六坪七合五勺二階十七坪二合五勺(実測建坪二十九坪七合五勺二階十八坪五合)は金百二十七万円と各評価し、原裁判所は右(1)及び(3)ないし(5)の物件を一括し右鑑定人の評価額合計金四百六万円を以て最低競売価額と定め昭和二十九年十月二十九日午前十時を競売期日と指定したが、職権により右期日を変更して昭和三十年二月四日午前十時を競売期日と定め右期日に競売を実施したところ、競買の申出をするものがなかつたので、最低競売価額を金三百四十五万円に低減し同年四月十九日午前十時の競売期日に競売を実施したが、前回と同様競買の申出をするものがなかつたので、更に最低競売価額を金二百七十七万円に低減し同年六月二十一日午前十時の新競売期日に競売を実施したがこれまた競買の申出をするものがなかつたため、更に最低競売価額を金二百二十二万円に低減して同年九月二十日午前十時の新競売期日に競売を実施したところ、なお競買の申出をするものなく、更に最低競売価額を金百八十八万円に低減して同年十一月二十九日午前十時の新競売期日に競売を実施したのであるが、前同様競買の申出をするものがなかつたので最低競売価額を更に金百三十万円に低減し新競売期日を昭和三十一年三月二日午前十時と定めた。ところが、右(3)ないし(5)の物件については、昭和二十五年十二月二十二日東京法務局北出張所受付第一二九六六号を以て同月二十日の賃貸借により東京都板橋区志村清水町百七十六番地北村芳衛のため、賃借権の範囲全部存続期間契約の日から向う三年、借賃一カ月金五千円支払時期毎月末日、賃借権の譲渡及び賃借物の転貸をなしうる特約ある賃借権設定登記がなされているので、原裁判所は昭和三十一年三月二日午前十時の競売期日を職権によつて変更し、新競売期日を同月三十日午前十時と定め、その公告中に右賃借権設定登記ある旨を掲載し前記(1)及び(3)ないし(5)の物件の最低競売価額は改めて前記鑑定人の評価額たる金四百六万円と定めて公告手続を了し、右競売期日に競売を実施したところ、競買の申出をするものがなかつたので、最低競売価額を金百三十万円に低減し、新競売期日を同年六月一日午前十時と定めた。右期日は債権者たる競売申立人株式会社埼玉銀行の申立により同年八月三日午前十時に変更せられ、右期日に最低競売価額を金百三十万円と定め競売を実施したところ、関根興慶及び富田とみ子の両名において共同にて右(1)及び(3)ないし(5)の物件につき最高競買価額三百一万円を以て競買の申出をなし、ここに漸く原競落許可決定がなされるに至つたものである。
以上のとおり認められるのであつて、これによれば最終競売期日に定められた本件(1)及び(3)ないし(5)の最低競売価額は金百三十万円でその直前の競売期日に定められた競売価額は金四百六万円であるからその間三分の一に満たない価額に低減されたものであることは、抗告人主張のとおりであるけれども、前認定の経過事実に徴して明らかなとおり、第一回の競売期日から昭和三十一年三月二日午前十時の競売期日に至るまでの間数次に亘つて競売が実施されたのに競買の申出をするものがなかつたため、原裁判所は鑑定人の評価額による最低競売価額を約一割五分ないし三割宛順次低減してきたため終に金百三十万円と定められ当初の評価額に比し格段に低廉となつたものであるから、このような経過をたどつた本件競売においては、原裁判所のなした前記最低競売価額の低減を特に不相当であるということはできない。
(浜田 仁井田 伊藤)